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ジェームズ・ミッチェル (陸上選手) : ミニ英和和英辞書
ジェームズ・ミッチェル (陸上選手)[て]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [りく, ろく]
 (adj-na,n) six (used in legal documents)
陸上 : [りくじょう]
 【名詞】 1. land 2. ground 3. shore 
: [じょう]
 (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior
: [せん]
 【名詞】 1. (1) selection 2. choice 3. election 4. (2) compilation 5. editing 
選手 : [せんしゅ]
 【名詞】 1. (1) player (in game) 2. (2) team 
: [て]
 【名詞】 1. hand 

ジェームズ・ミッチェル (陸上選手) : ウィキペディア日本語版
ジェームズ・ミッチェル (陸上選手)[て]

ジェームズ・ミッチェルJames Sarsfield "Jim" Mitchell1864年1月30日 - 1921年7月3日)は、アメリカ合衆国陸上競技選手である。彼は、1904年に開催されたセントルイスオリンピックの重錘投〔重錘投とは、56ポンド(25.4011727kg)の重錘を投げてその距離を競う競技である。この競技は、1904年セントルイスオリンピックと1920年アントワープオリンピックの2大会のみ採用された。〕 で銅メダルを獲得した。
== 経歴 ==
アイルランドで生まれ、後にアメリカ合衆国へ移住した。投てき競技に才能を発揮した彼は、19世紀の末から20世紀初頭にかけて、アメリカ国内はもとより、イギリスカナダ・アイルランドの競技会で76回の勝利を記録していた。このような実績から、同じくアイルランド系のジョン・フラナガンが登場するまで、最も偉大な投てき競技者と認められていた。彼やフラナガンを含めたアイルランド系の投てき競技選手たちは、その巨大な体躯と圧倒的な強さから「アイルランドの鯨」(Irish Whales)と呼ばれていた〔『近代陸上競技の歴史』13頁。〕〔2人の他には、マーチン・シェリダンマット・マクグラスパトリック・ライアンなどがこのニックネームで呼ばれていた。〕。
ミッチェルがセントルイスオリンピックへの出場を果たしたのは、すでに全盛期を過ぎた40歳の時だった〔ハンマー投では1886年から1892年にかけて、11回世界記録を更新している。〕。彼はこの大会で重錘投、円盤投、ハンマー投の3種目に出場した。得意種目のハンマー投では出場6選手中5位、円盤投では出場6選手中の最下位に終わった〔Athletics at the 1904 St. Louis Summer Games:Men's Hammer Throw 2011年5月6日閲覧。〕〔Athletics at the 1904 St. Louis Summer Games:Men's Discus Throw 2011年5月6日閲覧。〕。重錘投では出場6選手中の3位となり、銅メダルを獲得している〔Athletics at the 1904 St. Louis Summer Games:Men's 56-pound Weight Throw 2011年5月6日閲覧。〕。その他に綱引競技にもニューヨーク・アスレチッククラブチームの一員として参加し、4位に入った〔Tug-Of-War at the 1904 St. Louis Summer Games:Men's Tug-Of-War 2011年5月6日閲覧。〕。
ミッチェルは、次のアテネオリンピックにも参加を目指していた〔この大会は、現在のオリンピック史では非公式扱いとされている。詳細については、当該項目を参照のこと。〕。しかし、アテネに向かう旅の途中、乗船していた船が暴風に遭遇して負傷する不運に見舞われてしまい、出場を断念した。後にニューヨークでよく知られたスポーツライターとなって、ポロ漕艇競技に関する本を数冊執筆している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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